11: :2014/01/31(金) 21:32:37.29 ID:
みんな知ってる有名人だった時代。日テレで放送された「星雲仮面マシンマン」って特撮ヒーロー番組の
第一話で「昨日のプロレス見たか~、馬場の河津落とし凄かったな~!」
なんて出てくるくらい浸透してた。
16: :2014/01/31(金) 22:51:02.73 ID:
23: :2014/02/01(土) 11:13:47.55 ID:
放送時間は土曜の17:30からだったと思う
あの時間帯だと窓からの斜陽がテレビ画面に半分重なって見にくいんだよな
まあメインの時間帯の頃は18時を回って外も暗くなって画面も見やすくなったけど…w
要は、あのマイナー感が俺にとっての昭和全日本なわけで
もっと昼間か夜ならまだ集中して見れるけど、あの中途半端な時間帯というのがね
いくら世界のNWAチャンプが出てこようと放送してる時間帯のせいで権威を全く感じなかったw
新日は金曜20:00からで裏番組も強力で毎週見させてもらうわけにはいかなかったけど
家族で食事をしながら団欒という雰囲気で見れる感じだった
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実に同感だね。
加えて薄暗い会場内の照明が場末感を増幅していた。
それに全日は流血とかグダグダ決着の頻度が高いという印象が強くて
全日=退廃的というイメージがいつしか成立していた。
それは決して悪いイメージではなくて健康的というかやたらエネルギッシュな新日よりも
全日の退廃的でダルな雰囲気のが自分にとっては魅力的だった(決してアンチ新日ではなかったが)。
その雰囲気もジャパンとの提携が始まった頃から薄れていって俺もプロレスから徐々に離れていった。
マードック、ハリケーンあたりかなぁ
毎週ワクワクしながら見ていた。持っている人、アップしてくれないかな。
「馬場君が討ち死にした激戦区だが、頑張る」とか言ってたのが痛々しか
ったな。テレ東としては明らかに国プロ中継を打ち切る言い訳作りのために
土曜8時に回したのが見え見えだったから。
にしても土曜5時半(関東)へ移ったのは正確にはいつごろだったっけ?
記憶では77年のオープンタッグはゴールデンだったけど、78年最強タッグは
5時半に見た記憶がある。その間なら78年中か・・・
追求しなくても、「ニコライ」だよねw 日本でもロシア系の名前
としてすごく有名だし(exニコライ堂@御茶ノ水)。
な ん で 「ニコリ」なんて読んだんだろう???
フランス系カナダ人のBenoitを「ベノイ」と読んでいたのはまだ
「フランス語の読み方がポピュラーじゃないから」とか許せるが。
テレ朝の栗山氏が馬場-猪木戦を実現させるために裏で動いて
一億円のファイトマネーで馬場に一度は内諾させた話があるじゃん?
それで猪木戦を実現させる条件として馬場が提示してきたのは
残った全日レスラーを「ちゃんと好待遇で新日に吸合してくれ」みたいな感じの話
これって全日を畳むって前提の意味だよね?
時期的に鶴田がクツワダと新団体に動いたといわれる時期の後くらいみたいだから
興行的に不振、テレビ中継もゴールデンから外れる前後、子飼いのエース候補の鶴田の行動に対してのショックとトラウマ
こんな要素が重なって馬場自身が全日の将来と経営に意欲と自信を失いつつあったのかな?
…と勝手に自分の中で解釈してんだけど、そのへんの詳細とか詳しい人いる?
馬場が猪木に負ける代わりに、全日の華のない中堅レスラーも含めて
新日本・テレ朝に好待遇で将来を保証してくれって頼んだの?
鶴田、天龍、大仁田ぐらい、あとは海外組の桜田、高千穂、佐藤あたりは潰しが効きそうだが。
馬場のヤロウがそんな面倒見がいいように思えないなぁ。
極道、ロッキー、林、百田兄弟、園田、渕…こんな連中どう使うんだか。
言ったもん勝ちというのは栗山氏が話を盛ってるという意味?
確かに馬場は存命ではないが、栗山氏はテレ朝の首脳や大幹部に馬場との会談後に都度、報告をしてるような記述があったよ
その幹部は実名で記してあったし、幹部の発言や対応も書いてあったから本当だと思うんだけど…
そのへんの記述はあんまり細かく書いてなかったと思ったけど、好待遇という意味がリング上のポジションの事なのか、給与面なのか、
将来の保障とかの何を指すのかわからない。ただし馬場が全日のレスラーの処遇をすごく気にしていたという記述は確かにあったと記憶してる
あ、この話はテレ朝と新日が主導で馬場に持ちかけたんだけど、意外な事に馬場が乗り気だったという感じだったと思う
馬場にも全日の経営不振やらゴールデン降格やら鶴田の新団体やらで経営に自信と意欲を失くしてる可能性はあったかもしれない
新日側の思惑と全日のお家の事情のタイミングがばっちりあったという事かねえ?
この馬場×猪木戦企画は栗山氏の言う通りかどうかはともかく「それらしき」
話があったのは確か。で原因は鶴田の新団体騒動ではなく(これはこれで
一生の不信感を抱いたろうけどw)、興行不振、視聴率不振で馬場が代表権の
無い会長に棚上げされ、日テレから松根社長を送り込まれたことだと思うよ。
時期的にも。馬場はこれで完全に日テレへの信頼を無くし、新日本というか
猪木と新間に接近した。80年9月30日に新日本が武道館で単発興行(メーンは
猪木×パテラ)を打ったけど、本来、あそこで馬場×猪木を狙ってたんだよね。
栗山さんによると馬場のせいでも猪木のせいでも無い理由で流れた、とのことだ
けど、真相は不明。しかしその後も友好関係は続いていて、第2回オールスター戦も
何度も検討されていたのがこの時期。
ミーハー的人気ではその3人で間違いないけど、実際の観客動員力では
ブッチャー>>>テリー>>ドリー>>>マスカラスで
ガキ以外ではマスカラスの動員力って大したことない。×デスト、×鶴田
以降、マスカラスメーンでは大会場で一回も興行を打ててない。あ、
79年夏の札幌はマスカラス×ブッチャーかwでも相手がw
丁度いまプロレスクラシックの再放送でその頃の試合を放送してるけど
品川ゴールドホール、こんな詰め込んで良いの?って位のギッシリ超満員だね
この頃が一番興行が苦しかったらしいけど、なんか信じられんな
それとも客が入らないという意味の不振というより
客入り以上に外人の経費がかかりすぎて、収支という意味での不振って事なの?
全日本で品川プリンスホテルゴールドホールが超満員っつーと
間違いなく78年夏のファンクス×ブッチャー&シークの(前年オープン
タッグ)のリベンジタッグ戦でしょ?
これは蔵前でも超満員になる全日本唯一の切り札だからw
蔵前の半分以下のキャパであるゴールドホールが超満員になるのは当然。
この頃の全日本は最強タッグおよびブッチャーとファンクスが絡むシリーズは
客が入ってたよ。ただそれ以外のシリーズがひどい。
新春黄金、エキサイト、スーパーパワー、サマー、ジャイアントあたりで
ブッチャーやファンクスが出ないシリーズね。有名なのは80年サマーアクション
シリーズで、ブロディがエースだったけどあまりの不入りで、もうテレビ中継でも
隠しようがなくガラガラな客席を放送していた。中にはゴザの上に観客を体育座り
させている興行もあった。テレビ中継マッチでだよ!
だから年間トータルで70年代後半~81年までは興行不振、視聴率不振だったのは
間違いない。唯一の黒字シリーズだった最強タッグも、あれだけのメンバーを
呼んだから、それこそ貴方の言う通り経費倒れで大して儲からなかったという。
この状況が回復したのが、言うまでもなく82年からのハンセン登場。ハンセンが
来るシリーズは黒字化していった。だから新日本は下手にブッチャーなど
引き抜かなければ、全日本は自滅していた可能性が高い。
ただその場合も解散ではなく、より日本テレビ色の近い新会社として
鶴田中心で再出発したとは思うけどね。
陰惨良くないとか言いたいのかニワカwww
死ぬほどつまらなく思ったけど40も後半になると無性にもう一度見てみたい。
マスカラス人気に沸いたリアル時にヤフオクがあればオーバーマスクいくらの値がついたんだろう。
超獣コンビが生まれる新時代までは、ブッチャーとテリーとマスカラスの3人が客を呼べたビッグ3だろうな。
ブッチャーなんて馬場3連覇の次のチャンカン優勝者だもんな。
全日のこの時代はブッチャー、ファンクス、マスカラスが中心。
最強タッグに豪華な顔触れを揃えるも彼等へのギャラに消えて儲けが殆ど無いというのも確かにわかる。
この時代はまだ国際が存命していた。
《新日>全日>>>>国際》
こんな感じかと思ってた。
でも現実は違ったんだな。
《新日>>>全日>>>>国際》
このくらいの差が新日と全日ではあったって事か。
80年代前半だと年間の蔵前使用率は明らかに新日の方が多かった。
全日は12月の最強タッグ最終戦以外には蔵前使用率は低かった。
80年~83年の全日の蔵前大会だと80年は最強タッグ最終戦のみ。
81年は10月(10周年記念)と12月。
82年は6月(馬場×シン初シングル)と12月。
83年は8月(テリー引退試合)と12月。
全日は東京体育館を使用していたが。
記憶辿って書いたからもっとあったかも。
>80年は最強タッグ最終戦のみ
うわあ、一年で一回しか蔵前を使わない年なんてあったんだ
そこまで動員に自信がなかったとは、今さらながらさらに驚き…
あと1983年は新日のIWGP決勝の時期くらいに
鶴田対フレアーでも蔵前やったよ、プロレス初観戦だったから間違いないはず
確か馬場とブロディもセミあたりでやったはず`
そうだ、83年6月は全日の蔵前があった。
仰る通り馬場×ブロディ、それに鶴田×フレアーがあった様な。
つー事は83年は全日は蔵前を三回使用か。
ま、全日は東京体育館を頻繁に使用していたからね。
82年は2月と4月に立て続けに使用して、しかもメインが双方共に馬場×ハンセン。
新日は単発で蔵前使用したりもあった。
ただ意外にも80年MSGタッグでは蔵前は使用してない。
代わりに東京体育館が追撃戦の最終戦だったが。
その時に観戦した時は2階席もほぼ埋まってて
「IWGPと日程が近いのにこれだけ観客が多いなんて、全日って人気あるなあ」
と子供心に思ったよ。
新日の83年
4月3日
4月21日
3週間足らずの間に2回も蔵前をやったのは単なる強気や自信?
確か4月3日が特番だったよね?
21日が元々の日程で蔵前を押さえていて、特番放送が決まったから急遽で3日も押さえたとか?
最強タッグリマッチの東京体育館にぶつけた可能性もあるかな?
そうだった。国際軍団とのハンデマッチも蔵前だ。
しかしよく覚えてるね。
こっちも覚えてるつもりでもゴッチャになったり抜けたりするわ。
でも当時の雑誌の記憶で思い出してきた。
83年も4月に二回蔵前を使ってるけど82年も4月に二回使ってるんだよね。
今から考えると全日への意地の籠った当て付けにも感じる。
しかもこの時代の新日だと3週間後の蔵前でも満員になる自信があったろうし、実際に満員だった。
81年も6月に蔵前を二回使ってる。
81年は一番使ったのでは?
その代わりに81年は武道館や東京体育館は使ってないから。
いずれにせよこの時代の新日は蔵前、東京体育館、武道館と都内の大会場を年間で相当使っていた。
新間の『新日本プロレスブーム』の言葉も説得力あった。
81年10月の連日の10周年記念興行合戦も凄い。
全日は事前準備していたのに新日は前日に強引に割り込み切り札の国際プロレス
との対抗戦をぶつけるガチンコ興行戦。
対抗戦不参加の国プロレスラーを何人か全日で引き受ける事によって
“対抗戦”を骨抜きにする馬場の政治力と新日ブームの負けられない戦いだった。
相変わらず観客動員では敗れるもw 新日ポスターにある「全面対抗戦をたった
3人の参加」にして馬場が一矢報いた・・・・
あとその動員数の脳内補正の感覚はよくわかるw
後楽園で例えると、当時の新日は超満員で3000人発表くらいで、全日だと3500人くらい
だから全日で3000とか3200の発表なら「全席は埋まらなかったんだな…」と予測したり
新日で2800発表くらいで全日の発表が3300くらいなら「互角かやや全日の勝ち…かな?」とかねw
同じ方程式で蔵前でもよく補正して読んでたよ、「新日12000人と全日12500人で互角かな…」みたいに
>相変わらず観客動員では敗れるも
俺の中ではその10周年記念興行合戦は両団体とも札止めで引き分けだと勝手に認識してたんだけど
つまり全日は あの超豪華フルメンバーでもチケット完売できなかったの?
それが本当ならハンセン移籍前の現有戦力の全ての力を振り絞った興行でもどうにもできなかったのか…
やはり改めてハンセンは起死回生だったんだなと思うわ
81年の蔵前戦争、そこにこそ補正の要があるんだよね。
どちらも13000人で発表。しかし新日は超満員、全日は満員との注釈なんだ。
ゴングやプロレスを見ても全日の2階席、端あたりには人がいないのがわかる。
チケットは完売したが見に来れなかった客がいた・・・との言い訳があったね。
>チケットは完売したが見に来れなかった客がいた・・・との言い訳があったね
プロ野球の昔のパ・リーグの観客数の発表みたいだ、球場に来てない客でも年間指定席の数は必ず入れるみたいな
でも蔵前戦争は収支は新日と全日の観客数の差以上に大きそうだね
国際軍をはじめとした日本人を中心としたメンツとフルメンバーの全日では、下手すると大黒字と大赤字の差があったかも
>>94-95
鈴木みのるとかは、ファンクスvsブッチャーとか鶴田vsマスカラスでファンになって
猪木vsホーガンでレスラーになる決意をしたとか、色々な話を聞くけれど
三銃士四天王やそれより下くらいの世代のレスラー達は間違いなく馬場猪木を見てレスラーになってるわけだからね
ただ、ガキの頃のプロレス感とはいっても、ガキだからこそいい意味でえげつない言葉でケンカしてた気がする
新日ファンに罵倒される言葉は決まってて
「全日は外人で食ってる、全日の技はだいたい新日のパクリ、NWAやAWA王者なんて実力者から逃げてて猪木が挑戦すれば一発で獲れる」
とかが多かった
「外人で食ってる」は本当だったなあw
全日本を楽しく見てたけど、ぶっちゃけ目当ては外人の一流どころの
個性や試合で、馬場と鶴田が出てくると「うぜぇな。外人見せろや」
だったもんw
それでも馬場×レイスとか馬場×ブッチャーには、新日本スタイルには
ない「間」と「リズム」があってそこそこは楽しめた。
むしろジャンボの方がずっとダメだったなー。なんかあの気の抜けた
ようなファイトが嫌いで嫌いで仕方なかった。
【新日】
★82年
4月(MSGシリーズ決勝戦、カーン×アンドレ)
6月?(ホーガン×アンドレ)
7月(猪木×マギー)
8月(WWFタイトルマッチバックランド×藤波)
12月(MSGタッグ決勝戦、猪木、ホーガン×カーン、戸口)
★83年
4月(WWFインタータイトルマッチ藤波×長州、長州タイトル奪取)
6月(IWGP決勝戦、猪木×ホーガン、猪木KO敗北)
8月(WWFインタータイトルマッチ、長州×藤波、藤波タイトル奪還)
12月(MSGタッグ決勝戦、猪木、ホーガン×マードック、アドニス)
82年のホーガン×アンドレと猪木×マギーは同じ日で6月
他に行われたのは藤波×カネックの飛龍十番勝負とタイガー×ウルトラマン。
83年4月はもう1回やってる
猪木×マサ、長州×藤波、タイガー×キッド
猪木×国際軍団1vs3
藤波×長州
タイガー×小林邦
83年2月蔵前
猪木×国際軍団1vs3再戦
もあるよ。
反抗心、劣等感、そして全日の観客動員に対しての不安感
別に団体関係者でもないのに、昭和全日ファンは観客動員数まで気にかけながら観戦や視聴してる人が多い気がする
新日ファンは良くも悪くも、リング上のみに熱狂してる者が多いのに比べて対照的だ、まあ俺の勝手な見解だけど
ほんとうにそうだ、ただの客あるいはちょっとしたシンパにすぎないのに。
おまけに例えば新日なら実数に近い1割り増しくらいだけど、
全日は2~3割増しの発表だからほぼ同数かあ、なんて補正までした。
同数なら勝ったことになる、みたいにねじ曲げるハードルの低さも持ってた。
何でそんなこと気にしてたんだろう?
悲しくなるよ
おっさんでw、若いジャンボの試合の方がかっこよく見えた。
なもんだから決して光がないとは思わなかったなぁ。
でも俺達がこう言う事をジャンボは見越してての
行為だったりしてなw
76年オープン選手権
77年オープンタッグ
80年最強タッグ
84年最強タッグ
史上、もっとも豪華メンバーだったのはどれ?
変革期の81年もなかなか、ミラクル対決の87年も入れてくれ。
オープン選手権は75年。
オープン選手権の年の訂正ありがとう。
81年ってシン、シーク、ルーイン、ラシク、クラップ、ブロディ、
スヌーカ、ファンクス、レイス、ヘニングの?
豪華っちゃあ豪華だけどヒールだらけw
個人的に87年はもう昭和・全日本って感じがしないなあ。
むろん異論OKだけど。
ファンクス、ハンセン、ブロディ、ブッチャー、スヌーカ
この六人が揃った最強タッグは最初で最後でしょ
ブッチャーは50歳過ぎてて、他のも全員40歳前後だから、あと三年後には見れないかもという切なさもあった
そこだよね。顔ぶれはこの上なく豪華だけど
そのうち「現役感」が漂ってるのがハンブロだけ、という(スヌーカの
衰えもひどかった)。これに対して84年のレイス、ニックあたりは
まだまだ現役感があって、キッド&スミスなんかともやりあってて
元気が良かった。こういう点も大事な気がする。むろん異論OKだけど
リッキー以外ではエリック兄弟なんかも候補だったし、1983年あたりからケリーを売り出していこうという空気もあった
ただリッキーもエリック兄弟もルックスや体型が良すぎて全日ファンのツボには合わなかったと思う(マスカラスは覆面だから別として)
実際に鍛えられた体型が多い新日レスラーと戦った方がリング全体の見栄えも良いし(エリック兄弟vs藤波木村は好試合だった)
全日ファンはファンクスやハンセンみたいな田舎臭いというか、牧歌的なタイプを好むような感じがする
そういうタイプのレスラーの中にアスリート的な体型のスヌーカやブロディが混じるのなら光るんだけどね
まあリッキーは日本人の血を受け継いでるし、ルックスは良いけどどこか泥臭い面も感じるからマシだったけど
だから最初からヒーローやキザなアイドル路線というより、超世代軍の三沢達みたいに叩き潰されながら這い上がるような
ストーリーに乗せたほうが良かったと思う、壁は鶴田でもハンセンでもいいんだけど、ちよっとポジションを最初から上げすぎたんじゃないかな?
あれはダラスじゃできないことを日本でやった珍しいケース
あとケリーはロッキー4のドラゴ役に内定してたのに長髪を切ることに納得せず話が流れたとかね
新日に行ったのはバイク事故後の義足だった頃だわ
あとアメリカじゃクローじゃなくクロスボディーが必殺技だったのも
今ひとつ。木戸にあっさりカウント2で返されて「なんなんだ?」って
なってて・・・w
ケビンは確かに一番兄弟の中でバネがありキレもあったね
体操経験があったから正に体操選手体型ではあったけど、ケリーと同じく190cm近くあるからなw
名古屋駅でケリーとケビン見かけたときはやっぱでかくて圧倒されたわw
確かにテリーゴディみたいなピザ的でかさはないがあの筋肉はムキムキだろw
ケリーはビルダー体型だが打たれ弱いのとパンチはモーションばかりでかい割に殆ど相手に効いていなかった
デビッドもタッパはあるが線は細いしベテランにきついパンチや蹴り喰らうと一発で動きが止まる欠点があった
ただ若い割に試合巧者だったんで評価高かったんだな
マイクは一度も来日してないが世界のプロレスでレイスと流血の死闘演じてておって思った
マイクは新日本に来日してる
ああ思い出した
ケビンと来日したときか
うちの親父がテレビ見ながら「こいつはロバートケネディに似ているなー」と言ってたっけw
ケビンとマイクは一緒に来日してない。
マイクの唯一の来日は1987年のニューイヤーダッシュ87序盤戦1週間位。
テレビマッチにも出なかった。
そうだっけ?
なんか世界のプロレスとごっちゃになってるわw
小学生だったから記憶が曖昧だわ
しかし日本オリジナルニックネームがあったんだな
ケビン 鷹の爪 ホーククロー
デビッド 鉄の爪 二世 アイアンクロー
ケリー 虎の爪 タイガークロー
マイク 豹の爪 パンサークロー
末っ子クリスは成人してから170cmもない小柄だったしレスラーとしてはどうだったんだろ
顔はケリー似だったが
ジャックJr(幼少の頃に事故死)
ケビン(唯一存命)
デヴィット(病死)
ケビン(ピストル自殺)
マイク(服毒自殺)
クリス(ピストル自殺)
結果的にプロレスの道に進まないほうが、家族幸せに暮らせたのかもの。
天龍は「あいつは何か勘違いしている」と怒ってたって話だな
フレアーの評価だと
「最高のレスラーはレイスとリッキー」になるけど
それ言ったのは何を隠そうフレアーだよね
ああいう巧い人に言われたんだから25歳にして相当認められてたんだな
全日時代も何度かアメリカ中継でダラスのプロレスは地上波で紹介されたが
やはり兄弟は華があったよなー
すげー強いてワケではないけどなんかカリスマ性がそれぞれにあった
UNタイトル戦やったらあの頃、やはりあの若さでも天龍に勝ってたと思える
フレアーが認めてたのはデビアスで
デビットは認めてなかったんじゃなかったっけ
生きていたとしてもNWA王座保持した期間は
ケリーと同じくらいじゃないか
本人は一切日本語喋れないんだから
外人と一緒だろ
生観戦したのは5月のいわゆるスーパーパワーS(当時は何たらウォーズだったが名前失念)、
大阪城で若林アナが「恩知らず」って言ったシリーズの開幕戦。
発表されてた参加外人はシン、マスカラスで、
当初のカードはシン・ゴディ組、マスカラス・阿修羅組という意味不明な組み合わせ。
マスカラスとシンは説明もなく出なくなって流れたけど、
ハリケーンズまで来てカード編成に苦慮してたんだろう。
実はケビンが兄弟で一番キレのある動きしていたと思うけどな。
新日でいうとオーンドルフはなんてもったいない使い方したんだ。
初来日でいきなり藤波に勝たせたのに次は前田のジョバー。
しかも無茶な投げで肩を痛めたらしい。
オンドーフはエース外人候補だったのにね
全日だったらもっと大切に扱われたかな?
ブルドックス対天龍冬木だったと思う、でも試合結果はよく覚えてないな、冬木がフォールされたのかな?
キッドの自伝でその試合の後にホテルの廊下で天龍とバッタリ遭遇して
天龍がニコニコしながら「すごいヒジだったぞ!」みたいな事を言われたらしい、天龍かっこいいな
あとそのシリーズはWWFから三年ぶり位に帰ってきたと思ったけど、
春ぐらいのシリーズでキッドの体がえらく小さくなってたのは驚いた、病気にでもなったのかと思ったよ
このへんの時期は平成になっちゃうけど
スレーターやデビアスの人気にはとても及ばんだろ。
あのスーパーパワーシリーズはブッチャーの離脱直後のシリーズで、
全日本の選手やファンもちょっとしたショック状態だった。
ゆえにシークにブッチャーの穴埋めを期待したり、必要以上にリッキーを
早く売りだそうとしたり。色々と無理があった。
が、一番驚きは久々に来日したスヌーカのファイトぶり。
「リッキーのライバルとして呼んだんだが、スヌーカの方がはるかに
いいレスラーだったな」(馬場談←本当にこう言ったw)
というぐらい素晴らしかった。このスーパーパワーの後、ブロディと合体して
野獣+飛獣コンビを結成し、これがまたキャラが同じ部分と異質な部分が両方
ある絶妙なコンビでブロディと共に一段階、格を上げた。
ハッキリ言って「タッグチーム」としての完成度はブロディ&ハンセンより
上だったな。
ただしこの81年秋から82年の仲間割れまでで、新日本での再結成以降はしょーも
ないタッグになってしまった。
スヌーカって昭和40年代に日プロに来日してたらしいよね?なんかの雑誌で写真を見た事がある
なんかインディアンのキャラでその写真の頃は全然マッチョじゃなかったけど
その記事でも二流の若手レスラーだったみたいな回想録だった
やっぱりスーパースターに登りつめた彼には風格やオーラは出ていた。全日ファンの方があちらでの活躍イコールな目で見てくれやすいし。
馬場とテリー、二人でのタッグって、経験ありましたか?
81ジャイアント、82スーパーパワー、83テリーさよなら、あたりで実現してると思う。ちなみに馬場&テリーのコンビでPWFタッグとか最強タッグ参戦は無いよ。
駅弁ファックみたいな体勢に固定するのが、見ててなんだか恥ずかしかったなw
この日のメインはブロディvsドリーのインタ戦でドリーが蔵前の雪辱を晴らして王座奪回。セミは鶴田&天龍vsシン&上田、その前は石川&佐藤vs阿修羅&マイティのアジアタッグ戦。アジア~はかなりの好試合だった記憶がある。
主要カードから外れた馬場とテリーが何気に初コンビを組んでいたと言う感じか。
ビッグネームばかりと試合して、この成績ならクリアとか、そんなの。
格付けしたいのはわからなくもないけど、参加した皆で争うわけでもなく。
でもまあ、ハワイの本部だの頻繁に顔を見せるロードブレアース氏だの、全日のリングはPWFルールなので場外カウント10で統一だの、
脚色はなかなか凝っていた。
(インター復活で、2番手タイトルにしてせっかく築いた自慢の権威もうやむやにしてしまったけど。)
NWF?あのね、ジョニーパワーズとフリッツフォンエリックを比べてみればいいよ。猪木のタイトルとどちらが果たして格上か。
みたいな妙な自負を語っていたな。
もそうだし、オープン選手権だって得点方式がさっぱり分からない。
いま説明されてもわからない。あとチャンピオンカーニバルを廃止して
グランドチャンピオンカーニバルとか始めたけど、単にタイトルマッチを
多くやるってだけで「総当たり戦」の楽しさとかは皆無になってしまった。
「大物をブッキングして揃えたんだから、それだけで満足しろポォ」
とファンを見下した感じがね。
「おまえらは分からんだろうが、これがアメリカの一流なんだよポォ」
むろん一流を呼んで見せてくれたのは有り難かったが、一流だからこそ
花相撲じゃなく彼らが真剣に見せ場を奪い合うような闘いが見たかった。
あれだけ一流が集まっても、こうしたガチの主導権争いを見せてくれたのは
ファンクス、ブッチャー、ハンセン、ブロディくらいだからねえ。
グランドチャンピオンカーニバルってIWGP対策だったらしいけど
現実の動員はどうだったんだろうね?
確かパート1からパート3まであったし、それぞれエース外人が違うから一言ではいえないだろうけど…
前年のチャンピオンカーニバルに比べて動員は伸びたのかな?
グランドチャンカンは自分が鶴田に寝ないと説得力ないけど寝たくない
かといって参加しないと一線を退いたみたいになっちゃう
という馬場か元子の葛藤の産物だろ
どこかで「馬場がシングル連戦が限界になってきて毎回良い試合を提供できる自信がなくなったから?」
みたいな記述を読んだ事がある。
三沢もチャンカンか最強タッグの二回総当り(地方興行を増やしたから?)は体が持たないとか言ってた事もあるし
あと馬場くんがシンポジウムで「リーグ戦で天龍と結果がわかるような2流レスラーとの
シングルを組むと苦情が来るから」ということもいってた。
そういえばチャンカン廃止の時の馬場のコメントで
「馬場vs小鹿とか誰が見たいと思いますか?」みたいなコメントをしてた覚えない?
これは小鹿に失礼だと思った
完全にクリーンな決着って全くないんじゃないかなあ
乱入やレフリー失神とか必ず何かがあるw
それより一流外人同士のヒリヒリするような自己主張のぶつかりあい
が見たかった。
夢の対決は数々実現したけど、本当の意味での存在感のバトルに
なったのって少ないから。
どっちの良さも出たならまだしも、どっちの良さも殺してしまう
遠慮しあった花相撲というかね。
例えばブッチャー×マスカラスとかドリー×マスカラスとか
リッキー×マスカラスとか・・・・ってあれれ?
ウォリアーズなんて5分も試合しないからなあ。最上段からのラリアットなんて効かないの丸わかり技だし。
あれで相当なギャラ払ってたんだろうな。
そういえばテリーがドリーに挑戦したインター戦なんか、もうぐだぐだ。兄弟とはいえ、休みすぎ。
あれは「豪華な顔合わせ以上のことをやろうぜ」と2人が全力で
ぶつかり合ったから名勝負なんだよね。あれで歌舞伎みたいに見栄を
切り合って、お互いの得意技を軽く受けて両リン・・・じゃここまで
伝説にならなかった。
新日本はアリ戦の借金後は、常に誰かテレビ朝日からの出向が居た
感じ。なかにはクーデターに連座した奴もいたが、本社のもっと偉い
三浦専務に一喝されて引き下がったな。
全日本は有名なのが元日本テレビ運動部長の松根氏。全日本の興行不振
を打開すべく日テレから社長として送り込まれた(馬場は代表権のない
会長に棚上げ)。馬場はこれにやさぐれて、猪木と新間に急接近した。
馬場がもっとも新日本に(自ら)近づいたのは、完全に松根氏と日本テレビ
へのあてつけだったな。
当時のプロレス番組は視聴率戦争のキラーコンテンツだった。それゆえ
TV局の子会社だったので経営不振になるとスポーツ局の大物が再建請負人
として送り込まれた。
全日は特に馬場プロレスと言うキラーコンテンツをテレ朝(NET)に強奪された
報復として馬場を独立させて日テレ社長の肝入りで創設された団体だった。
全日と新日はBIの因縁だけでなく資本関係にあるTV局のバックにつく読売vs.朝日
と言う新聞社のライバル関係から絶対負けられない戦いを繰り広げていた。
日テレはともかくテレ朝ってそんなスムーズだったっけ
新日がテレ朝で放送されるまでかなりの期間があったはずでは
せっかく強奪した馬場を日テレに奪回されてしまい坂口・大木では視聴率が
取れないのは明白、そんな中で12チャンネル(テレ東)で単発放映された
猪木vs.ゴッチ戦の素晴らしいいファイトを見て猪木プロレスの魅力を
再確認したNET(テレ朝)は馬場に対抗するには猪木&坂口だと新日プロと
日プロの合併を指示するも寸前で大木等が反対して坂口グループのみの合流
になるもワープロがスタートする。
今の新日プロ+テレ朝もTV局の思惑で作られた形に近い
ちなみ12チャンネルの猪木戦は高視聴率だったのでレギュラー化を検討するも
そこに割って入ってきたのNETで「放映権料、ネット局数等で勝負に
ならなかった・・・」と国プロ中継の杉浦アナが残念そうに後年回想していた。
同時に解説を担当した東スポ・桜井氏も話し合いでワープロへ円満移籍した。
やっぱりNETは猪木のみというより
猪木と坂口の両備えを考えるくらい慎重だったんだね
すでにロートルのテーズまで引っ張り出すダメ押しまでして
ワンナイトの世界最強タッグ戦を企画したのは東スポだった。
猪木・ゴッチ戦にレフェリーとして参加したテーズを見て
「まだイケル」と判断して豪華なカードを新日へ提案すると
「テーズのギャラを負担してくれれば・・・」と条件がついて
実現した試合だった。
日プロ分裂・崩壊後に朝刊スポーツ紙がプロレス報道から一斉に撤退する
中で夕刊スポーツ紙としてのハンディをバネにより一層プロレス報道に
力を入れる姿勢となり”猪木”をプッシュしていく事に決定した。
そのために猪木・小林戦実現のために国プロへの違約金を払い小林は
東スポ所属として試合を行った。
半沢直樹じゃないけど、局から来た人にしてみれば最悪人事だったかも。
プロレス団体への出向て。
馬場はNETの放送で流される事は禁止されてたけど
猪木はNETでは主役で、日テレでも猪木の試合の放送は継続されてたんでしょ?
これは猪木個人としては長い目でみれば凄く大きい事じゃない?
中には日テレの中継時間には他局を見ていて、プロレスはNETしか見ない視聴者なんかもいただろうし
ゴールデンの両局の放送電波に乗ったのは後々の猪木の独立後に大きかったんじゃないかな?
例えば坂口が来る半年前に新日が崩壊してたら、それで終わりだったわけし
まあ一年持ちこたえたのが猪木の知名度によるものならね
原に変わったら事務的で素っ気無くて、あれが全日自体の斜陽化に
さらに拍車を掛けた様に思えて仕方が無い
比較的最近の雑誌に佐藤昭雄のロングインタビューが載ってて昭和全日を回想していた
ブッカーの佐藤に日テレは「外人同士のメインより、日本人で客も視聴率も取れるようにしたい」との要求だったらしい
それで鶴龍、特に天龍の格上げを佐藤は提案したらしい、1982~1983年くらいの時期に
高千穂でなくカブキのままの逆輸入凱旋も佐藤の提案だったと、馬場抜きシリーズだから責任感でやりがいがあったと
1983年はテリーの引退の国技館は立ち見までソールドアウト、本当は武道館でやりたかったんだけど、テリーが引退とはいえ鶴
龍以上に動員数の記録や貢献度を残したくなかったらしい、目先の利益より後の鶴龍時代へ気遣いだったみたいな感じ
1983年の最強タッグ決勝はカブキのNWA挑戦を組み込んだら全日旗揚げ以来で一番前売りの勢いが凄かったらしい
翌1984年2月の蔵前は前年のカブキブーム、テリー引退等の熱が一段落して、鶴田天龍を中心にカードを組んだ
招待券を入れても7割も埋まらないんじゃないかと心配もしていたが、実券だけで七割が売れたのは嬉しく、手応えをつかめたと
それで特番を組んでくれた日テレに「これからもジャンボで行けますよ」と自信もって報告できたらしい
ジャパンプロが来る前は馬場に「長州達が来たら誰とやらせようか」と相談されて
「外人とは良い試合ができないだろうから、もちろんジャンボ達でしょう」と日本人抗争を提案
まあ、インタビュー前半部分は若手の頃に馬場に受けた恩恵なんかを語っていたんんだけど
後のブッカーの佐藤がいなければ鶴田天龍ってどういうポジションだったんだろうという気もしたなあ
特に鶴田は若い頃はプッシュされたんだけど、人気が伸び悩み、そこで佐藤が再売出しを図って手応えを掴みかけ
た頃にブッカーをやめたみたいな印象だったな
馬場はそのアイデアに感心しつつも
もう後は続かないだろう、こちらはヘーシンク、鶴田、NWAと
いくらでも打つ手があるぞwとタカをくくっていたらしい
その矢先に起こったのが伊勢丹事件
それからは
新日の針の振り幅の大きさで物量の全日が押されていくことになる
発進力の差というか、出来ない事は言わない馬場の性格がマイナスだったな。
確かに新日のが刺激的な話題を作るのにたけてたが
全日だって百田兄のレスラー転向の件を始めとして話題作りにも勤しんでいただろ。
プロレスの枠を破るのを厭わない新日に対してあくまでプロレスファン対象の全日という違いはあったにせよ。
そういう一かゼロかみたいな形容はどうかと思う。
質に関しても旗揚げから数年間はともかく70年代末以降は全日に贔屓目にみても同等だろ。
ただ個人的には変にスポーツぶりたがる新日より見世物然とした怪しさに徹した全日のが好みだったが。
以降はスポット参戦でげっそり痩せてしまったな。
ちょっと話はズレるが、全日本20周年記念試合としては
メンバーがおかしかったな。
馬場、鶴田、ドリー、ハンセンはいいとしても
アンドレは全日本参戦して浅いし、ゴディは顔じゃない。
ここはやっぱり
馬場&ブッチャー&テリー × 鶴田&ハンセン&ドリー
とすべきだった。テリーはこの時、セコンドだったと思うけど
どうせ乱入してたし(にしても何でセコンドだったのか記憶が
定かでない。とっくの昔に復帰はしてたはずだけど)
テリーはそこで(92年10月)現役扱いされなかったからFMWに移籍したんだよ。
もっと正確に話と92年9月19日FMW横浜スタジアムにザ・シークvs×と言うカードがあって×はテリーだろうと囁かれていた。結局、シークはその年5月ファイヤーデスマッチのダメージで試合が出来ず来日不能となってカード自体流れてしまった。
もし予定通り、横浜スタジアムでシーク×テリー戦が行われていたら全日本20周年武道館にテリーはセコンド役としても呼ばれなかっただろう。
カムバックしたときは、なんか複雑な気持ちだったし、素直に応援できなかった。
まして長州と試合をやるテリーなんて見たくなかった。
同感。テリーの復帰で一気に冷めてしまった。
当時は「何がテキサスクローバーホールドだ。もう時代じゃないよ。」とか本気で思ってたw
でも今は・・・死ぬまで好きなだけリングに上がり続けていいよ、テリー。
ホテルに追っかけもいたし。
今じゃ考えられないけど、テリー、人気あったよね。
テリーの本だけではなく、「アマリロ」とかの本も出てたし、引退のときには「FOREVER TERRY FUNK」とか「もっと熱くテリーファンク」とか何冊も発売されたもんなー。
コンディション悪そうでもリングに戻って暴れてるテリーの方がらしくて好きだよ
テリーはスタローンの映画では「パラダイスアレイ」ってのにメインキャストで出てる。
地上波放送は日曜洋画劇場でテリーと戦うスタローンの弟役の吹き替えを
初代タイガーマスク≒佐山がやって、全日本vs新日本のアイドル対決と宣伝されてた。
ちなみにその作品直後制作の「ロッキー3」のホーガンキャスティングもテリー推薦って話もあったな。
その関係なのか10周年記念シリーズの時にホーガン移籍ってゴングに出てたね。
日テレ、NWA、百田家、力道山ベルト(PWF)…
「馬場全日は日本プロレス界の本流を継ぐ唯一の正統団体」ていう物語というか内外の認識、
金屏風の前でプロレスやってたからプロレスやってることに対する幼い劣等感がほとんど無かった。
猪木新日にはその後ろ盾が無い、というか本人たちが無いと思い込んでたから
「プロレス界の本流」を飛び越えた、「僕たちのやってるのは筋書きの無いスポーツです」って
権威を求めちゃったんだろうな。
いやNWAに代表されるプロレス内の権威って、世間一般から見れば
権威でも何でもないプゲラなしろもんじゃん。それをさも権威ぶって
馬場だのエリックだのブラジルだのの「化け物」が争って見せるから
面白いんであって。プロレスのタイトルマッチとか完全にボクシングとかの
パロディだからな。
それに対して新日本は、「全日本がプロレス内の権威なら、こっちは
プロレス外のガチの権威を呼んでやる」と政治家とか有名人に近づいて
いったよね。まあアリ戦もそうだ。アリは本物の権威だから。
猪木はイカサマ臭いアングルもストロングな試合もできる
素晴らしいレスラーだと思うけど、こういう所は好きになれないなあ。
新間の入れ智恵かもしれんが。プロレスはあくまでもプロレスらしい
価値観で進行して欲しい。
馬場は田舎にいたときから散々フリークス扱いされ、
プロ野球選手としても成功できなかった自分が
プロレスのおかげで初めて一流と認められたって思いがあったからな
プロレス村特有の価値観への執着も人一倍強いだろうな
逆に猪木は、力道山に日本に連れ戻されなければ、
ひょっとしたらオリンピックに出られたかもって思いがありそうだ
プロレスにステータスを見る馬場と
プロレスから抜け出てステータスを得ようとする猪木
いろいろな意味で対照的だ
とりあえずテリーを押さえつけてハンセンのラリアットをアシストしたり
インタータッグを取ったりしてるな。
ところでインタータッグ戦はノーテレ?
奪取も返還もノーテレだったはず
自分の知る限りでは、どちらもノーTVだと思います。
当時の全日本は地方興行でのタイトル戦も多かったですよね。
ところで、ブロディとスヌーカが仲間割れした原因は何でしたっけ?
花道でブロディとロブレイがスヌーカを滅多打ちしていた記憶はあるんだが、その原因が全然思い出せない。
スヌーカのスーパーフライがブロディに誤爆したんだよ
スヌーカがドリーにコーナーからスーパーフライを放ったが
ドリーは死んだフリ殺法から上手くかわし、
そこへ偶然にも(笑)テリーとの場外乱闘から戻ってきたブロディと
空から降ってきたスヌーカが激突した
ありがとう。
ハンセンと組むためにスヌーカと仲間割れした(させられた?)のは、子供心にも分かりました。
誤爆か、なんで記憶にないんだろう?
デカいブロディたちが、小兵のスヌーカを蹂躙する様子がショッキングだったからかな。
花道で流血して大の字になってるスヌーカが可哀想だった。
ブロディとロブレイの二人がかりによるリンチとはいえ
あれでスヌーカの日本での商品価値が
大幅に下がった印象は否めなかった
実際新日に移籍した時は猪木とのシングルは組まれなかったし
会場の人気もイマイチパッとしなかった
その張本人のブロディとよくもまぁ移籍先でも
出もどり先でもタッグが組めるなと感心したもんだ
新日で猪木対スヌーカのシングルは実現している。
85年12月横浜文化体育館
ノーTVだったが、ビクターからビデオ販売された大会で他のカードも藤波対ドスカラス、ナガサキ対ブロディなども収録されていた。
86IWGPも同じブロックなら猪木対スヌーカシングルやってると思う。
例の仲間割れ
テリーがブロディ組のセコンドのロブレイと場外でやり合う間に、
ブロディのお膳立てでスーパーフライを敢行すべくスヌーカがトップロープに上る。
↓
と同時に場外のロブレイを加勢しようとエプロンに半身を出したブロディにテリーのパンチが炸裂。
↓
大げさに吹っ飛んだブロディは、リング中央で横たわるドリーを押しのけるかのように倒れこむ。
↓
そのブロディにスーパーフライがヒット。
てな流れで仲間割れ&スヌーカ嬲りが開始される。
平成の全日ファンの「全日らしくない」という本末転倒な感想が聞こえてきそうな展開だ。
このプロレス板には「全日は昔から演出のないスポーツライクなプロレスをやっていた」
と主張したがる平成の全日ファンがわんさといるからね。
なんで彼らは昭和の全日をよく知りもしないくせにそう信じて疑わないのだろう。
実に不思議だ。
確か初来日は国際で
ドン・バスって選手と組んでたよね。
ロンドン・バス!
猪木新間に対しては、「嘘に嘘を重ねてどうするつもりなんだ?」って感じだったろう。
だからプロレス村の中から出ないようにしたのは当たり前だと思う。
世間と勝負しても最後の最後は負け戦になるとわかっていたわけだし。
馬場の「生涯現役」って発言した事があったの?
それとも結果的にそうなったから?
日プロのゴタゴタ以外にも、1983年の新日クーデター、UWF、WWFの侵攻、SWS…etc
「オレが現役を退こうと考えたりした時や、業界から離れて余生をハワイで絵でも描いて過ごそう
と思うと、必ずそのタイミングで何かの事件がおこってプロレス界から離れられなくなる」
とかSWS騒動が一段落した頃にそんな事を改めて言ってた事があるから、常に引退のタイミングを計ってたのかと?
まあそれで結果的にズルズル行って、ある時期から孫みたいな若いレスラーと巡業を楽しむお祖父ちゃんみたいな感覚になったのかと思っていたんだけど…
馬場は亡くなる数年前に巨人のOB戦に招かれたことがあるんだけど、
その場に居合わせた同世代の大物選手はは当然みな引退していて
現役が自分一人だけだったのがすごく誇らしく感じたらしい
思えば、馬場がかたくなに引退しなかったのは、自分の巨体を
正当化する口実だったプロレスラーというアイデンティティにこだわってたから
引退してただのフリークスになってしまうのを極度に恐れていたからではないか
だから、引退したらハワイでのんびり過ごしたいってのは本当だったんだと思う
会社は自分一代で畳んで、誰も後継者にする気なんかなかったのでは
スヌーカの新日本初参戦は85バーニングスピリットinサマー終盤戦特別参加で大阪城&両国で藤波とのシングル2連戦が組まれた。
大阪城は藤波のクリーンフォール勝ちで両国はスヌーカが勝ったんだがコーナー回転エビではなく、藤波のボディアタックを切り返してスヌーカの勝ちと記憶している。
普通初顔の日本人対外人は外人が先勝して日本人が後で取り返すパターンが多かった気がするが、藤波vsスヌーカは逆ケースだったね。
テリーがレフェリーになった理由とどこまでリンクしてるか知らんが、あの時のテリーの来日目的にアルバムレコード「GREAT TEXAN」
の発売キャンペーンもあったからじゃなかったかな。
当時「なんで元NWA王者のテリーが、AWA世界戦を裁くんだろう?」などと思っていたもので。
客寄せパンダ的な発想で話題性はあったから、それだけの理由なんだとは思うんですけどね。
そもそも当時の全日本にAWA公認のレフェリーっていましたっけ?
ブッチャーの本を書いたゴジン・カーンがトルコの子分とかで
二月末にジャパン軍が離脱して、判官びいきで三月の武道館は埋まったけど
春あたりから観客動員は激減、リング上の活気も失せつつある感じだったし
天龍革命は武道館大会の時点では開始直後でまだ未知数だったし
馬場も自らが最前線に出て目玉を作る必要があったのでは?
それか日テレからも何かしらのハッパか要請があったのかもしれない
そういえばSWSで天龍たちが抜けた直後の東京体育館でも馬場はメインに登場した
何だかんだで危機の時は馬場は老骨にムチ打って最前線で体を張るんだよね、
団体の将来的にそれが良いか悪いか別にして
判官びいきで武道館が埋まったのはノアのときだろ。
87年2月の時点では長州がズル休みしてただけでまだ離脱してなかった。
武道館がそこそこ入ってたのは輪島のおかげ。
あとウォリアーズが来てたのもある、確か日本でのベストマッチだったな
鶴龍にリングアウト勝ちだったけど説得力ある勝ち方だった
それとチャボ・ゲレロの記憶がジャパン軍が来た頃あたりで止まってんだけど?
新日時代は知らないけど、大仁田のステップアップの試合と
淵の凱旋の時の蔵前と、井上にタイトル獲られたあたりまでは覚えてるんだけど?
WWFに行った話しも聞かないし、どうしちゃったの?
それともオレがボケてるだけで来日は度々してたっけ?
全日の前座レスラーはあれでみんなギブアップしてるよ
メイン格となるとほとんどいないけど
統一前の数年間=80年代後半の印象に引きづられてるよな。
例えばインター王者のブロディがPWFに挑戦したことはあるが
その逆は少なくとも80年代前半にはなかったし
商品価値はともかく公式的には全日のトップの馬場の虎の子だったからな。
それが鶴田への政権交代が始まると共にインターの「伝統性」が強調されて
インター奪りが「エースの証明」とか形容されるようになったが
これは政権交代といってもいきなり鶴田エース時代が始まるわけではなく
当面は馬場と鶴田の並立という状態で鶴田のエースの地位を確立するためには
馬場とハンセンのPWF戦線というラインを温存する必要があって鶴田にPWFを戴冠させられないから
インターの格を上げたって感じだったよな。
その前のドリーVSブロディ戦中に失神してしまい控え室行き。
次の世界戦は回復が叶わずブレアースがレフェリング。
1試合休んで全回復したのか馬場発電所組の試合では何もなかったかのように仕事をしてた。
今月のプロレスクラシックでは錯乱したテリーの頭突きを受けてもあまりダメージがない
という頑健さを魅せてるんだけど。
天龍vs長州と三沢タイガーvs小林が2大メインのビッグマッチで、
鶴田がアンダーカードの6人タッグマッチに出てた興行。
ゴールデン特番でテレビ放送していてて、
鶴田が一人で大暴れして浜口や谷津を蹴散らし放題でそのまま勝利した試合。
俺はその試合で初めて今までと違う異質な鶴田を感じたんだよね。
後の、超世代軍をまとめて蹴散らすあの鶴田の姿そのものだったよ。
何度も場外へ放り出される浜口が、
エプロンサイドまで上がったまま「とても手に負えない・・」って感じで呆然とした表情だったなぁ。
馬場vs木村と天龍vs長州がダブルメイン
その鶴田のタッグと小林vsタイガーがダブルセミだったかと
PWFヘビー級選手権
ジャイアント馬場VSラッシャー木村
特別試合
天龍源一郎VS長州力
ジャンボ鶴田VS谷津嘉章
石川敬士 アニマル浜口
インターナショナル・ジュニア・ヘビー級選手権
小林邦昭VSタイガーマスク
ジャパンの合同とはいえ日本人レスラーのみの興行で
武道館が満員に出来る時代だったか
長州らに人気があった段階とはいえ
外人レスラー1人も呼ばないで全10試合も…
良く言えば豪華、悪く言えば飽和状態
ジャパンの前座レスラーを
全日の普段の興行に使うの無駄に感じなかったのかな
「デカくて動けてモノが違う。あんなのがライバルじゃ天龍さんも大変だな。」
こんな意味合いだったよね。
まぁ、直後はオフレコだったろうし、
後日談になるから脚色もあるかもだけど。
マイティのあの技は
サマーソルトドロップって言わなかったか?
ガラパンはいたマイティの体が
一瞬だけ宙を舞うと何とも言えず興奮した
そういやサンセットで思い出したが
カリフォルニアドールズって女子プロレスの映画で
ローリングクラッチがサンセットフリップになってたっけ。
英語もサンセットだったから仕方ないが
「実際はおっとうが一番強い」とクダ巻いてたと言うが
試合でハードヒットを止められていた木村を哀れんでいたのかもな
そういや、国際軍団の参戦直後、
「木村が秩父の山籠り特訓で必殺の肝臓破り水平を開発!」
とか実況されてたけど、とうとう試合では一度も使われなかったな
どんな技か知らんけど、一度見てみたかった
まぁ小林が行ったとしたら馬場、鶴田に完敗してロッキーとタッグを組んで中堅か
新日で坂口とタッグ組むのと大差ない気もする
アポロ菅原も国際から全日
それはともかくロッキーと坂口を同列ってのは
さすがに世界の荒鷲が可哀想
加入前の猪木戦は良かったが結局それがベストバウト
一応パワーファイターって売りだったけど全日行ってもどうだったかな
本人にやる気が無さそうだから